無理を聞く
- watase1896
- 2021年5月7日
- 読了時間: 2分

ある先人が、次のような言葉を遺しています。
「出来ん中をやってゆく、納められん、得心出来んところを得心してゆくのがお道である。ならん中を納め、納まらん中を通ってゆくのは、人間の目から見れば無理なことに違いない。けれども、無理なことを聞いて通るのがお道である。なぜなら、我々は神様に常に無理難題を聞いて貰わねばならぬからである。救からん身上も神様に無理を言うてすがれば神様は聞いて下さる。だから人間も、神様に無理を言うて貰い、それを聞いて通るのが道なのである。」―と。
ややもすると、私たちは、親神様にお願いばかりしていないでしょうか?
助けてください、どうかお願いします―と、すがってばかりではなかったでしょうか?
それでも親神様は無理を聞いて下さり、日々、私たちをお護り下されているのです。私たちも、素直にをやの声を聞かせていただき、実行させてもらうことが大切ではないでしょうか。何が何でもおつとめを急き込まれた教祖。人を助けてくだされや―と優しく諭された教祖。ただただ、その声に素直に応えさせていただきましょう。
人の為に祈り、おつとめをつとめる。今こそ、自分にできるおたすけに踏み出す旬だと思います。成らん中、足らん中こそ、教祖のひながたを胸に湛えて、さあ、今月も勇んでまいりましょう!
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